お二方の事業とは?
小高もともとはニット製造工場を営んでおり、僕は3代目になります。2013年にその会社とは別で「MERIKOTI」を立ち上げ、職人による手作りの草履型ルームシューズの企画・製造・小売りをしています。「MERIKOTI」を営むきっかけとなったのは海外製衣料品の増加で、「衣料品製造だけでは将来性が乏しい。ニットの技術で他に作れるものは何か」・・・そんなことを考えているとき、ひょんなことから布草履と出会い事業化、40代女性をターゲットに北欧をコンセプトとして製造を開始しました。今では草履と合わせて使用できる指割れ靴下の販売も行っており、海外からの観光にきているお客様のお土産としても広くご購入いただいており、ご支持いただいています。
有薗僕も印刷会社の3代目になります。今年、サンコーは50周年を迎えることができました。厳しい価格競争が起きる印刷業界で自社ができる仕事の幅を広げるにはどうすればよいか?を考える中で、デザイナーが集まれるシェアオフィスという形を思いつき、2015年3月にクリエイター専用シェアオフィス「co-lab」をオープンしました。シェアオフィスを運営し、そこにデザイナーが集まり・つながりができたことから、今までの印刷のみという形態ではなく、デザイン・企画など印刷より前の段階からの仕事を獲得することができるようになり、最終的に印刷を行うという新たな形態を実現することができました。
▲布草履などオリジナルのアイテムを扱うMERIKOTIさん
小高さんは、製造から小売りへの変化で接する対象が変わることで苦労もあるかと思われるのですが・・・
小高楽しいです。製造業と違って、小売販売の一期一会という感じは逆に新鮮でした。
町工場は売り上げが右肩上がりの時はいいのですが、僕が2005年に社長になった時は下がってきていました。皆で「どうする?」となってもアイデアは出てこず、”今は耐えるしかない”など結局繊維業界はアパレル頼みでした。アパレルが上手くいかないとドミノ倒しになっちゃう。こんな他人に人生任して、と思いました。
自分たちの強みは<作れる>こと、自分たちで作って売れば一番いい。昔はそういうスタイルでできていたけれど、大量生産になると分業制になって大変でした。製造小売りはこういう小さい規模の店では成立するのは難しく、苦労はもちろんあるけど楽しいです。
取材そもそも何故布草履を?
小高布草履にしたのは工場時代にニットでできて、服じゃないものを商品化したかったからです。
そのときたまたまうちのHPを見た青森の八戸で布草履を作っている団体の方からの「原料の紐になる生地をくれないか?」という問い合わせの電話に出たんです。 対応した後、その方からお礼に布草履を一足いただきました。 それを初めて見て、履いて、気持ちよくて。じゃあこれをオリジナル製品として作ればいいんじゃないか?と思いつきました。
同じにしたらオリジナル性がないので、ウチは生地を割いて紐にするのではなく、紐を編むことにしました。そこから1年くらいかけて紐を開発して、という流れです。
ウチの製品は手間も技術もかかっています。普通7,000円じゃ収まりませんが、高すぎて買ってくれないという失敗はさんざんしました。いいものは作れるけど売れるものは作れない。じゃあ、どうしたら売れるものが作れるか?というと、ターゲットを絞って何が消費者の心を動かすか?を考えることが重要です。僕らモノづくりやっている人間は作ることに関しては120%応えられます。消費者さんに苦労を押しうることなくシンプルに「いいな」と思ってもらうためにはデザインが大事になってきます。品質に自信があるからこそデザインを重視しています。
▲お互いの経歴を話すお二人、対談はMERIKOTIにて開催
お二人共、今の第二創業を行うに当たり重視したのは情報の発信についてと伺ったのですが、こちらについてもお聞かせいただけますか。
小高ニット工場時代売上が下がってきた時にやったのは営業ですね。でも繊維業界で孫受けの私たちには正直営業は効果がほとんどありませんでした。そこでどうしたらお客様が業者を選ぶときに小高を潜在的に意識する機会を増やしてもらうかということでした。
そこで、当時出てきたばかりのインターネットを使おうと思ったのです。初めに、業界でインターネットを使ってる会社を調べたんですよ。そしたら唯一、久米さん(久米繊維工業)のサイトが出てきて、当時からネット通販もやってたんですよ。「墨田区でこんな近くにやってる人いるんだ・・!」って思いました。まずはこの久米さんのサイトを真似しながら試行錯誤することから始めたんです。そうしたら徐々にですが都内にニット工場があるんだって認知されてきて、問い合わせがくるようになってきました。でも最初は月に2人とかしか見てくれなかったんですけどね(笑)。周りがインターネットで検索するようになったのも大きいですね。
そして、発信しするようになってとても重要なことに気がつきました。業界の中でも、うちみたいに襟をだけ作ってるところがあるということの認知度がメチャクチャ低かった!ああ、襟だけ作ってる工場があるっていうことを皆知らないんだぁ・・・と思いました。でも逆を返せばSEO的に競合が無いってことなのでそこからブログなどを書くようにしてせっせこ対策に励みました。とにかく検索エンジンに引っ掛かるように。久米さんからも「小高君、騙されたと思って毎日ブログ書きなさい」って言われてたのですが今だから言えますがその時は心の中で「毎日書くネタなんてないじゃん」と思いながらも、写真とか撮って一言だけでもいいからと言われて書き続けました。ブログで異業種のネットワークが広がったというのはありますね。
その時からの仲間がFacebookに移行してそのネットワークはさらに拡大してきました。実は墨田区は区長や商工会議所の会長、観光協会の事務局長など連絡したい人にメッセンジャーでダイレクトに繋がれるメチャクチャSNS先進区でこの点も大きな魅力だと思っています。
有薗小高さんは発信するネタを作ってたのが凄いなって思ってます。印刷会社の仕事って”こんなことしました!”って言えるのがほとんどないので。
でも、シェアオフィスやってから発信できる内容が増えました。シェアオフィスを始めた当初は全然お客さん来なくって、これを稼働させないとなと思っていました。
実はco-labって東京の西の方ではとても知名度が高く、オープンしたらすぐ満員になってしまうほど人気なんですよ。でもこっちでつくったらまるで問い合わせが来ない。住んでるのが東京の東側だったり、千葉や埼玉だったとしても、墨田を通り越して渋谷とかのco-labに行ってしまいます。まずは錦糸町に降りてもらおう。町の魅力をアピールしよう。同じビルの印刷会社が何をやっているのかを知ってもらおう!というところから始めました。そうするとまず、印刷の依頼が入るようになったんです。デザイナーさんから「ちょっと変わったことやりたいんだけど、いつものとこだと断られちゃったので相談に乗って貰えませんか?」と。そういう依頼は、実績として発信できるじゃないですか。
そこから情報発信を始めたらだんだんシェアオフィスの方の知名度があがってきて、稼働率も上がってきました。今はシェアオフィスの方と印刷会社とでそれぞれブログやFacebookを使って発信していってます。
そうしてクリエイターの人たちがウチに来てくれるようになったとき「実はものづくりの人たちとクリエイターの人たちとの接点ってあんまりないんだなあ・・・」って気づいたんです。
デザイナーの人たちのやりたいことに対して、よりよくするための技術的な意見ができる場は多くない。デザイナーの人たちも『作る』ことは知らないから、その人たちの作りたいものを理解して、アドバイスをするのも仕事かなと思うようになりました。今はこのエリアの人たちの技術やノウハウとデザイナーの人たちアイデアをちゃんと繋ぎ合わせていったら、もっと面白いものができるんだろうなって思います。
小高確かに。デザイナーと作る側の認識の差はあって、絶対にデザイナーが表現したいものを100%製品に落としこめるかっていうと無理ですよね。技術的にできないところがでてきます。そうすると向こうも作る側のことは分からないから、何で出来ないの?いや、出来るはずでしょと平行線になってしまいますよね。
有薗そこでこういう風にやったら出来るよって言う機会があればよかったのですが、町工場は言われたことに対して出来るか出来ないかしか答えない。こういうやり方なら出来ますよって言えればそこで対話が始まります。その対話をしないような状況が、分業制が進んだ結果作られたのだと思います。
お二人の事業の今後の展開や展望などを教え下さい。
有薗co-labについては、自分の会社も含めて、デザインしてくれる人と作る人の化学反応を起こしたいなと思ってます。
日本でものづくりしてる町はいくつもありますが、デザイナーの人達は東京の近くに住んでるんです。そういう意味で、デザイナーとものづくりの人たちが意見を出し合いながら何かをやれるという点ではここのco-labはすごいポテンシャルを感じます。大量生産で安く作るなら田舎でも海外でもいいんですよ。この地価の高い東京でものを作りづけた人間だからこそ、大量生産でない少量のものづくりがメインになっていくなかで、この町で何か出来ることがあるんじゃないかって思ってます。そして、そうした出会いの中で出来た新しいものは全部印刷を伴うんですよ。説明書や箱はつきますし。
地域の産業が活性化して、そういう面白い場所だって知ってもらえれば、印刷業も回ってくるんじゃないかって思います。
小高今MERIを作れる職人さんは青森と東京合わせて6人程いるんですが、それだけでは需要に追いつきません。
そこで3年前に毎月1年間通ってベトナムのハノイの農家の女性6人に職人養成をして今活躍していただいています。ただ、ソール部分の材料を送って出来たものを送り返していただく、という形のため原価は海外生産の方が高くなってしまっています。実は中々日本でやってくれる人がいないんですよね。技術の習得には最低1年はかかるので…。でもベトナムも高度経済成長真っ只中という感じになってきていていつまでこのような内職をやってくれるか分からない。そう考えると日本でも職人を増やす努力をあらためてしなければと思い今年から地方のコミュニティにご協力を得て本格的に国内での職人養成に投資を始めています。教えた人が全員モノになる訳ではないのですが、それでも今から始めないと5年後、10年後のこのブランドの存在自体が危ぶまれます。
今後の展開と言うか挑戦はちょうど始まったばかりです。
▲取材者との笑いも交えながらの対談
▲お二人と取材者(向かって右から 内田・小林・石井)
取材担当:内田優樹(早稲田大学)
取材担当:小林千恵(早稲田大学)