自社のモノづくりの幅を広げることに尽力されている3社だと思いますが、これからの自社の可能性についてはどう思われていますか?
中島紙は無くならないとは言われていますが、どんどんシュリンクしているんですね。
業界団体の予測で、最悪の予測だと市場規模が3兆円までいくのではないかと言われています。Youtubeの動画でも紹介したんですが、印刷メディアを使って印刷屋さんが本気を出すと1つのお店を独り立ちして売れるようにどこまでバックアップ出来るかという新しい試みを行いました。実は企画料とかはいただいてないんです。私個人の予測なんですけど、将来もしかしたら社名から「印刷」が外れる時が来るかもしれないと思っています。印刷物というのは情報を伝えるための媒体としてありますが、別にそれが印刷でなくてもいいという時代になってきています。我々が紙にこだわっても、世間のニーズが紙から離れていったら取り残されていってしまう。ですから今は結果的に印刷物を選んでくれているけども、そうではないニーズも取り逃さないようにしようとしているところです。
古賀そもそもメリヤスの業界自体がお客さんから依頼をもらってモノづくりをするという下請け業態が長く続いていました。今までは需要があったのでそれでよかったんですが、年々洋服というのは衣食住の中で一番重要視されにくくなっています。なんとかきっかけを作って発信をしていかないことには今の状態より良くはならないだろうと思っています。
今のままやって行っても作ることは減らないかもしれないけれど、年々従業員の給料は上がっていく中で海外からどんどん入ってくる安いモノと競争するための付加価値を作らなきゃいけない。そういったところで業界全体がこういうことをやっているんだよと興味を持ってもらえるきっかけを作って、ただもらったモノを作るというところから変化していっているところです。
浜野うちが今考えている方向性としては3つあって、1つはモノづくりの上流からコミットしていこうということです。2つ目は下請け体質から脱却していこうと下請け仕事が悪いということでなく、これまでの単純な「大きい会社から小さい会社へ」という一方向な図式を飛出して、会社の規模や業界といった垣根を超えたパートナー関係を築いていこうという意味です。あとは、小さい会社なので、1社でできることは技術も設備も人員も情報も限りがあるので、中小企業のネットワークを活用していこうというところです。スミファもその中の1つですね。
▲大東印刷工業の中島さん
▲nuuieeの古賀さん
▲浜野製作所の浜野さん
具体的に難しいこと、また、今までのターニングポイントについて教えてください。
中島一番難しいのはゴールを設定すること。次に難しいのはそこに社員の意識を変えて会社としてゴールへ向かっていくことです。
我々も受注型産業なので発注がないと何も作れないんです。過去には需要が潤沢にあったのでただ口を開けて待っていればよかったんですが、それは萎んでしまった。じゃあこれから企画を立てて何かしていこうとしたときに社員の意識がみんなそこへ向かないといけない。誰かが騒いでるだけでは点でしかないから全然力を発揮しないんですよ。その点を増やしていく、また点を繋いで面にしていくというのが大変時間がかかって難しいところですね。あとは録音できないことしか言えないんで・・・(笑)
古賀(笑)でもたぶん何かが違えど同じようなことだと思います。
下請けから脱却していくには、というところで今1人しかやっていないところを何人かに増やしていくってこともそうですし・・・
特にうちの会社なんかは注文をもらっててモノを作っていたらよかった。
それもあって、そのモノを作るための一番の胆となるファッションで言えば売れるデザインがなんなのかっていうのが誰にも分からない、じゃあそれをどうしたらいいかっていうのが一番難しいところです。これを作ってくださいって言われたモノを作るのはできるんですが、何か、自分たちでこれを作るってなると難しい。
そういった意味で、モノづくりに関心があるけれどもお金がなくてモノづくりが出来ない方がいらっしゃる、じゃあそういうところを少しでもサポートしてあげて、プラスに持っていけたらなというところですね。
あと、うちは会長から社長の世代に変わったところがターニングポイントとして一番大きいところですね。
nuuieeも今の社長が墨田区のモノづくり補助という助成のシステムを使って企画したんです。それまではあのブースは倉庫として使っていたんです。スタッフが常駐して作業していたんですが、スタッフの高齢化に伴って作業場を工場に移した時に場所が空いて。そこで何をするか考えたときに色々アイデアが出たんですが、会長の代と社長の代で考えの違いがあった部分も、現社長がこうしていこうと方向を示せばそれに賛同する社員がいて、じゃあそれでやっていこうとなって。
それがターニングポイントとなったと思います。ちょうどそれと同じくして、業界自体でも世代交代が多くあった時期だったので皆さんそういう声が多かったのかなと思います。
大東印刷さんにとっても世代交代というのはターニングポイントですか?
中島そうですね。印刷業界って定価が無いお仕事なんですね。
例えばこのパンフレットを作るにしても10人営業マンがいたら全員つける値段が違うんですよ。要は勘で見積もりするんです。これを作るのに何分かかるのかっていうのはデザインを見ただけでは正解が分からない。
だから人によって答えが違うんですよ。でも作り終わってから、何分かかったのでこの額お金くださいっていう商売じゃないんです。前もって額を提示して基本的な条件が変わらない限りは赤字になってもそのままいくという不思議な業種なんです。そのなかで昔は紙ものの情報伝達手段が大変多かったので入ってくるお金が多かったんですが、それに対して出ていくお金も多かったんです。経費の管理が緩かったんですよね。
ただ当時はなによりも入ってくるお金が多かったから儲かっていたんですが、どんどん入ってくるお金だけが減って業績が落ち、疲弊していった。
その中で今の社長の代に変わってから取り組み始めたのが経費の削減だったんです。同じモノを作ってて同じ値段で受注しているのに残るお金を大きくする、これを今の社長が取り組んで、非常に高収益になっています。でもそれって守りなんですよ。それやっても売り上げは1円も伸びないんです。
そこでここからまたターニングポイントとして来てるのは、どんどん下がってきている売上をどう増やすかというところですね。
現在そういう筋肉質な会社になっているのでこれから売り上げが増えると利益がものすごく出るんです。そうすると人材等に投資がどんどん出来てくるので、いわゆる生き残れる会社に変わっていくのではと思っています。実際に前期からようやく売上が持ち上がり始めてきたんです。
それが今後続けてやっていくことで成果になっていくのかなと実感が湧いています。
植田浜野さんはいかがでしょうか?
浜野何か新しいことを始める時というのは、何をやるにしろ手探りになってしまいますよね。今までやってきたことには経験や実績がありますけど。新しいことを始める時に、どこにゴールを設ければいいのかなんてすぐにはわからない。それでも今までやってきたことをそのまま続けていてもこの先厳しいよね、ということで皆さん新しい活動をされているんだと思います。スミファの活動の大きな目的も実はそこにあるんです。
新しいことを始める難しさはありますが、何か始めることによって新しく見えてくるものがある。それがまた次の道筋に繋がっていく。そういう効果が、スミファや我々の仕事の中でちょっとずつ見えてきたように感じます。
植田具体的に見えてきたものとは・・・?
浜野うちはずっと金属部品の加工をしていたんですけど、部品の加工は受注生産が基本ですから「こんな部品を作りました。買って下さい」なんて能動的な商売は出来ない。要はお客さんから注文をいただかない限りモノって作らないし作れないわけです。
それと、僕らの業界も見積もりの要素が大きくて、お客さんから図面を渡されて「これを1,000個作ったら、10,000個作ったら単価いくら」というのをまず出します。なおかつその図面というのはうちだけでなく同業他社にも出されていて、お客さんはその中で安さや納期、品質を比べて、選ばれた所に注文が行くんです。
それでも今までの流れやお付き合いの中で黙っていてもお仕事をもらえていましたが、次第に周囲の状況が変わっていき、同じことだけをやっているわけにはいかなくなった。そこから、当時従業員は私の他に1名しかいない状況でしたが、長年培ってきた技術を元に試作のお仕事も受けるようになったんです。今では従業員も増え、社内に設計部隊を作って自分たちが設計した装置を作る体制も整ってきました。次に見えてきたものが、新しく始めた設計事業を、従来の限られたお客さんだけでなくそれを必要としている様々な業界業種に提供したいという新しい目標ですね。
▲取材の様子
▲質問を親身に聞いていただきお話してくださいました
世代交代と共に、業界の変化を感じるところはありますか?
古賀以前は隣のメーカーはこの商品をいくらでやっている、というのを一切隠していたんです。
だって仕事がとられてしまう可能性があるから、同じものだったら絶対隠そうと。でも今は逆にうちが出来ない仕事の依頼が来た時に、B社さんだったら出来るからB社を紹介してとにかくモノづくりを、といった風に助け合っていける形に徐々になりつつあります。今までは本当に閉鎖的だったのがオープンになってきて、みんなが1つのものに向かってやっていきましょうというように業界団体の流れが変わってきています。
1番大きな理由は、仕事自体がだいぶ減って工場も淘汰された中でこれから先どうやっていくか考えていこうというところですかね。
中島印刷は消費地に近いところで作るというのが基本なんです。だから周辺の同業他社は皆競合になるんでお互いの手の内は絶対に見せないというのがいまだに強いですね。
浜野日本って、ヨーロッパのモノづくりのようにマイスター制度みたいなものがあって、代々その中で受け継がれてきた思いだとか技術があるんですよね。その反面、戦後の集団就職で地方から上京した若者が都内の工場に散っていって修行して、競争しあって技術を磨いてきた背景があるから、昔はライバル関係にあった同業他社と何かをやるっていうのは難しかった。
でもその背景も、時代や環境が変わってきた今では三軒先の同業他社はもうライバルではないよねって。例えば金属加工は、小さな携帯のコネクターを作るのと車のボンネットを作るのでは設備もノウハウも全く違う。バッティングはしないんです。
だからこそ今、僕らの業界では「力を合わせて何かしよう」という流れが全国的に出てきているんですよね。それが僕らがやった「江戸っ子1号」だったり、今やっている大田区の「下町ボブスレー」だったりするんです。中には色々な機密情報があるからそうなれないところもあるけども(笑)。けれどその流れが徐々に変わってきていると思います。
▲業界の変化について語るお三方
▲お三方と取材者(植田)
取材担当:植田 萌(早稲田大学)